3話
歩を“女ったらし”と思わせてしまう一瞬だ。どうせ、似たようなセリフをあちこちの女に囁いているのだろう。
現にここのメイドとも、まるで友達同士のように仲良く話して盛り上がっている姿をよく見かけていたし、身分関係なくフランクに接する彼の性格からして“女達”に可愛がられるタイプなのは間違いないはずだ。
淀みなく出てくる言葉は、かえって真実味がない。
「ひまわりは私も好きよ。でも薔薇の方がもっと好きだわ。」
「何枚も重ねた綺麗な花弁に、鋭いトゲかい?それもいいね。」
クスクス笑ってから、首を横に振る。
「でも、茉莉は薔薇っていう感じじゃないよ。確かに一見見た目は、薔薇のような雰囲気を持っているけれどね。
けれど真実は大違い。
君が持つものは、か細い茎に、とっても大きな花だ。
必死に天に向かって延びて、あまりに大きな花を持ってしまったものだから、そのうち茎が折れるんじゃないかと、見る者を不安にさせる。」
もっと、肩の力を抜いた方がいいんじゃない?
言われた瞬間、飛び上がるようにして、イスから離れていた。
「おっと・・。」
茉莉に抱きつく形になっていた彼の体が、ひょうしぬけたかのように、ぐらついて姿勢を戻す姿を尻目に、
「今日はお父さまともご一緒しているから、これくらいで失礼するわ。
送ってもらわなくても結構よ。戻り道くらい、知っているから。」
とスタスタと洋館へと戻って行きながら、チラリと振り返って言った茉莉は、椅子に座ったままの歩が、楽しげに瞳を揺らした表情を見逃さなかった。
茉莉が歩の事を苦手だと思う理由。
河田家でも、高野家内でも、必死に取り繕って“高野茉莉”を演じる茉莉の姿を見透かしていることだった。
分かった上で、恭しい態度をとったり、ああやって“俺にはお見通しだから”みたいな態度をとるのだ。
茉莉に対して、こんな風な態度をとる人はいないので、戸惑うばかりだった。
結局は茉莉の方が降参して、逃げるようにその場を離れざるを得ない事になるのが多いのである。
(・・・あの人だけは・・なんとかならないかしら・・。)
心の中で愚痴りながら、玄関に足を踏み入れた瞬間。幾人かの集団とバッタリ立ち合わせになる。
(お客様?)
ハッとなって、正面玄関から入るのではなかったと思ったのだが、ちょうど集団の真ん中に位置する男性を目にとめて顔を輝かせる。
河田家の次期当主の“河田武雄”だった。
180センチ以上はあるのかという立派な体躯に均整のとれた体型。
年は25歳になったばかりだったはずだった。
上品な背広に身を包み、大柄な体型からは想像もつかないしなやかな動きをするのを、茉莉は知っていた。
次期当主にふさわしいエネルギッシュな瞳の色は、時にはそれだけで射殺すほどに厳しい視線を持つという。
その瞳が茉莉を見つめて、破顔した。
「やあ、茉莉さん、来てたのかい?」
「お久しぶりです。武雄さま。」
おしとやかに。上品に・・。
その時の茉莉の中の自分のイメージは、まさしく大輪の薔薇の花だった。
決してひまわりなんかじゃない。
軽く礼をして、ゆったりとほほ笑みかけて答える茉莉の姿形は、完璧なはずだった。
武雄は、ハッと目を見開いて、満足げに茉莉の全身を見下ろす瞳の色が、その証拠だ。
彼の周囲にいた人たちが、サッと退いて、茉莉と武雄の間には、誰もいない状態になる。
「今日は一人?」
少し首をかしげる武雄に、茉莉は艶然とうなずき、ゆっくりとした動作で彼に近づいてゆきながら、言葉を選ぶ。
「いえ、両親の供でこちらに参りましたの。お逢いできて光栄ですわ。」
「僕も、嬉しいよ。以前にもまして、綺麗になってゆくね。末恐ろしいよ。」
河田の男性陣は、みんな口がうまい。
「そんな褒め言葉を頂くと、茉莉は妙な誤解をしましてよ。」
ニコッと笑って、彼を諌める口調で問いかかると、彼はハハハッを笑う。
「これくらいの讃辞。あなたなら、耳にタコができるほどに聞き飽きているでしょうに。」
言いながら、武雄は歩き出すものだから、茉莉も一緒についてゆく形になる。
ゾロゾロ部下を引き連れた状態で、玄関ロビーを抜けて、
「今日は、父に呼び出されましてね。昼間にここに戻るように。・・・なんて珍しいんですよ。
いざ帰ってみると・・高野先生ご夫妻がいらしているのでしょう?。」
武雄が茉莉の父の事を『先生』と呼ぶのは、父が議員をしているせいだ。
高野家は明治の頃から、幾人もの議員を輩出していた家柄でもあった。
大政奉還の折に、政府側についた士族が直系の先祖に当たって、家柄だけはやたら由緒正しいのだ。
武雄は戻って来いと言われた経緯が、いまいち分かりかねる顔をして、少し首を傾げてつぶやく。
「なぜでしょうね。」
当たり障りのない言葉を選んで答えるのも、茉莉の得意とする所だ。と言うか茉莉も見当がつかないのは同じなのだから、答えようのないのは確かだった。
二人は居間の前までくると、和やかに雑談をしている声が漏れ聞こえてくる。
武雄は自ら扉をノックをして、ドアを開けると、河田当主と、高野夫婦が目を見開いて、武雄と茉莉の二人の姿を注視していた。
少しの沈黙の後。
「やあぁ。お似合いの二人が帰ってきたようだ。どうだね。いい感じじゃないか。高野くん。」
「子供と思っていたのが、もうそんな時期になっていたんだな。」
涙を浮かべんばかりに、瞳を潤ませ、鼻を噛みだす高野の父の表情も、訳が分からない。
「会長。どうゆう意味ですか?」
本格的に眉をひそめだす武雄に、河田の当主が判決文を言い渡すようにして話した言葉がこうだった。
「武雄。お前に、これ以上ないくらいのいい話が、まとまりそうなんだよ。
うちの奥さんが、調子が悪くて外に出れる状態じゃないのは、お前も心配してたろう。
高野先生も気にかけて下さって、自分の目に入れても痛くない可愛い娘を、この家で役に立ててくれって、おっしゃって下さったんだ。
式は、茉莉さんが高校を卒業して、大学に入って落ち着いてからがいいんじゃないかと、先生と、今。話を詰めている所なんだ。」